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青柳城址公園
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 青柳城は、現在の筑北・麻績両村を展望できる山上にありました。一帯の領主であった麻績氏の支城にすぎなかったこの城は、しかし、たびたび歴史の表舞台に登場します。
 はじめは天文22年(1553年)に起こった第一次川中島合戦でした。北信濃の豪族・村上氏を支援するために出陣した越後の長尾景虎と、中信濃を制圧しさらに北をうかがう甲斐の武田晴信が現在の長野市篠ノ井付近で激突します。武田軍の先陣を破った長尾軍はさらに南下し、武田方だった青柳城に攻めかかりますが、武田軍が退路をたつ動きをみせたため、長尾軍は撤退します。
 天正11年(1583年)には、武田氏滅亡後、中信濃の旧領を回復しようとする小笠原氏と上杉氏の争いの舞台となります。上杉方についていた時の城主・青柳頼長は、やがて小笠原氏と和議を結びますが、小笠原氏の居城・深志城(後に松本城と改名)で騙し討ちに遭い、青柳城も落城。その後まもなく廃城となりました。
 戦国期の山城として、歴史の移り変わりを見つめてきた青柳城。堀や曲輪、石垣の一部など当時の遺構を見ることができるほか、櫓門なども再現され、かつての雰囲気を偲ばせる城址公園となっています。

所在地
長野県東筑摩郡筑北村坂北
URL http://chikuhoku.jp/aoyagij/
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