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貞享義民記念館
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 貞享(じょうきょう)は1684年から1688年までの元号で、松本藩は徳川家の重臣である譜代大名の水野氏が藩主であった時期にあたります。長引く飢饉のため藩の財政は厳しく、領内の農民の生活も極めて苦しい状況にありました。
 貞享3年(1686年)、藩は年貢を2割増やす決定をくだします。松本藩の年貢は元々周辺の他藩よりも高かったため、さらなる負担増にたえかねた農民たちは、現在の安曇野市三郷出身の庄屋・多田加助を中心として、奉行所に年貢軽減を願い出ることにしました。
 江戸時代、民がこのような訴えを起こすことは法令で禁じられており、文字どおり決死の訴えでした。奉行所を取り囲む農民の数は1万を超え、事態の悪化を恐れた奉行は、要求を聞き入れるとして農民たちを引き取らせます。
 しかし、江戸にいて知らせを受けた藩主・水野忠直は、年貢軽減の約束を覆し、加助らを捕えるよう命じました。訴えからおよそひと月後、年貢は重いまま、加助を始めとする農民28名が処刑されます。その中には、村々との連絡役を買って出た16歳の娘、小穴しゅんもいました。
 水野家は、のちの忠恒の代に、江戸城内で起こした刃傷事件のため改易となり、松本藩は一時幕府領となりました。その際、年貢が他藩と同水準まで引き下げられ、加助たちの命をかけた願いは、およそ40年後にかなえられることとなったのです。

所在地
長野県安曇野市三郷明盛
URL http://www.anc-tv.ne.jp/~gimin/
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